仕事をしていく上で亜流と我流ということについては強く意識を持っています。
どちらが良い悪いではなくバランスの問題だと思います。
ただ自分の感覚としては我流から入った人間が、後から亜流を改めて学ぶのはその逆よりもハードルは高いと思います。
亜流は自分のルールが通りませんし、本人が納得してようとしてまいと有無を言わさずこういうものだからと叩き込まれることが多いと思います。
自分も植木屋職人時代はその連続で、若かったこともありかなりのストレスを感じました。
ただそれを若い時に経験できて良かったと思っています。
我流というのはあまり良いイメージを持たれない言葉かもしれませんが、古き悪しきものから脱却したり革新的な新しいものを生み出すときにはその感覚がないと無理だと思います。
ただその我流を打ち上げたときに、亜流も理解した上で発信することは大きな説得力を持ちます。

ピカソが若い頃描いていた絵を知って後半の絵を見るのと、知らないで見るのとでは感じ方が違うと思います。
バランスを取るためには当然どちらも知っている必要がありますので、どうせ学ぶなら先に亜流を学ぶことをお薦めします。
造園の世界は感性が大切なことも事実。
ただそれを逃げ道にして感性のみの我流をゴリ押しするのはよくない。
という思いもあり民間だけでなく公共の設計をやっているところはあります。
こっちはこっちで何もかも理詰め過ぎて疲れる(笑)。
バランス取るのってホント難しい。
