街中によくわからない隙間があって、そこが雑草で埋もれてるなんてのよく見ませんか?こんな場所です。

なぜこういうことになるのでしょう?

簡単にいえばまちをみんなでつくりあげよういう意識よりも、余計なトラブルを避け安全にいきたいというお役所体質(bureaucracy)の産物と言っていいかと思います。
こちらはお客さんのある会社の敷地と歩道の隙間ですが、お役所体質は役所内だけでなく個人にも民間企業にもみられます。
悪しき体質に染まっているというか、それが当たり前になってしまっているんでしょうね。

要は敷地境界には境界石が入っているけれど、その境界線ぎりぎりに壁をつくりたければ隣地側も掘削しなければならないし、構造によっては隣地側に基礎を設けなければならない。
そうした場合、いくら土中とはいえ人の土地に作工物をつくることがためらわれて、セットバックした結果わずかな隙間が境界線に沿ってずーっとできてしまう。
そうでなくとも万一、何年かして壁が傾いたりしたときのために最初から少し逃げておくなど。

隣が個人宅ならまだしも歩道です。
個人宅だとしても、それぞれの土地は個人のものではあるけれど、それらが繋がって自分たちの暮らす街になるという意識があれば結果は違ってくると思います。

何年か前にこちらの社長さんから、会社の敷地正面だし何とか恰好をつけたいと相談をいただきました。下の写真はその数年後の様子です。

通りがかる人が歩くスピードを緩めて、ゆっくりと眺めながら行く姿が印象的でした。
これだって細かいこと言ったら歩道側に草花がはみ出しています。
大きな声では言えませんが、歩道の反対側にある植樹桝にも勝手に植えてしまっています。

それって何か問題です?

逆にこういう中途半端なスペースをみんなが喜べるものに解放してやるという意識を持てば、それを見て真似する人の輪が広がれば、その街はきっと魅力的なものになっていくと思います。
人との会話も増え、一緒にまちをつくる意識も高まり、愛着も強くなるのではないでしょうか。

役所の役所体質を変えるのはそう簡単にはいかないけれど(でも変えていかなきゃダメですが)、個人や民間の部分では今日からでも何かやれると思います。
役所や政府に意思を伝えることも大切ですが、今できることをやり続けて自分たちでいい街をつくるんだと決意すること。
逆にこれがないと役所は重い腰あげません。

愛着の持てるまち
それができたらとても誇らしいですよね。

avatar
投稿者について

札幌市東区のOne & Nature。人(One) と 自然(Nature) をつなげるお手伝いができればとこの名前を付けました。個人の庭から街並景観まで、さまざまなライフスタイルに合わせて植物が身近にあり、そのたくましく育つ姿から力をもらえる。そんな空間づくりを目指します。